■2024.08.25 CBCラジオ
『若狭敬一のスポ音』
若狭敬一のスポ音 | CBCラジオ | 2024/08/24/土 12:20-13:00
…
(中日・大野雄大投手、2024年の目標「勝負の年。キャリアハイに近い成績を残す」をカレンダーに書いたという話題の続き)
若狭アナ:
2024年になりました。
自主トレを過ごしました。
キャンプは北谷スタートでした、1軍でした。
オープン戦でも成績を残しました。
そして開幕ローテーションに入りました。
4月3日、巨人戦、5回1失点、556日ぶりの勝利。
もうね、我々も嬉しかったですよ!
今年、順調だ、大野雄大は白星発進!
「えっ!? 今年、何勝するんだ?左肘の手術から完全復活だ!」と、こう思っていました。
ところがです、
大野雄大:
今だから若狭さんに言いますが、
この、今シーズンの1勝目を振り返ると、
正直、左肘に少し痛みがありました。
手術した左肘に痛みがあった。
しかも、この日の登板だけではなく、
もうその前、オープン戦の頃から、
あまり左肘の状態は良くありませんでした。
今シーズンの1勝目、たったの5回しか投げていません。
66球という少ない球数だったのですが、
僕自身、ヘロヘロでした。
自分本来の長いイニングを投げ切っての勝利ではありませんでした。
この4月の勝利というのは首脳陣に投げさせてもらって、
勝たせてもらった勝利です。
正直、この登板後、今シーズン、
中6日で先発として回るのは厳しいなと思いました。
何とか投げて、登録抹消、
1回2軍に落ちて、調整して、
また登板間隔を空けて投げるという形で1年間頑張ろう。
正直、僕のようなピッチャーを首脳陣は使いにくかったと思います。
と、こう振り返りました。
本人は少し不安だったんですね。
で、明くる日、登録抹消になって、
登板間隔を空けて、1軍首脳陣は、また4月20日の阪神戦、
甲子園のマウンドを与えました。
不安は悪い方向に転がっていきました。
この日、かなり精神的な、肉体的なダメージを受けます。
なんとかつてのイニングイーター、沢村賞投手の大野雄大が、
1回1/3、2回途中、4安打、6失点でノックアウトです。
イニングイーターだった先発投手にとって屈辱の2回途中での降板。
左肘の状態もやはり万全ではありませんでした。
で、大野投手は振り返ります。
大野雄大:
あとで聞くと、
この日のピッチング、
僕を1回で首脳陣は交代させようとしていたらしいです。
もう自分は相当、1軍の首脳陣に信頼されていないなと思いました。
結果が全ての世界ですから自業自得、仕方がないことです。
ただ、かなりへこみました。
と振り返ります。
この日、大野雄大投手は調整ではありませんよ。
次の1軍登板を確約した2軍降格ではなく、
「下で中6日で投げられるようにしてきてくれ」、こう言われて2軍降格を告げられました。
これはですね、2軍でしばらく頑張れ、
しかも2軍で登板間隔を空けるのではなくて、
2軍で中6日で投げられるようになったら、1軍に帰ってきてください、
ということで、
これは、もう2軍降格だったんです。
心身共にボロボロですよ。
いわばベテラン投手は実績もあります。
2軍でもう1回、若手に混ざって、
中6日で投げるというのは結構、大変なんですが、
年末のあのカレンダーを思い出しました。
大野雄大:
「勝負の時。キャリアハイに近い成績を残す」と、
奮い立たせました。
ここでヘコたれるわけにはいかない。
5月から、4月20日にノックアウトされていますので、
左肘をケアをして、ちょっと治療もして、
5月からほぼ中6日でローテを守りました。
肘の状態も上がってきました。
ストレートも戻ってきました。
よし、これならストライクゾーンで、
真っすぐで勝負できる。
自分本来のピッチングができる。
イニングも稼げる。
よし、大丈夫。
と。
2軍からも報告がいきます。
1軍の首脳陣は大野雄大が約束通り2軍で、
色々とプライドもあっただろうし、
メンタルもキツかったかもしれないけれど、
なんとか中6日で2軍で回ってきて実績も出している。
「よし、1軍のマウンドを与えよう」ということで、
6月29日バンテリンドームのDeNA戦の先発を与えました。
大野雄大投手にとっては、この試合が今シーズンを左右する、
大きな、大きな登板だったんです。
ところが5回5失点で負け投手。
なんと3本のホームランも打たれました。
牧選手に2本、桑原選手に1本。
大野投手は振り返ります。
大野雄大:
バンテリンで3本ですよ。
自分の真っすぐは2軍で通用しても、
1軍のバッターには通用しないと痛感しました。
この日は、さすがにへこみました。
正直に言います。
あの日、また首脳陣に2軍で、
もう1回ローテーションで回ってきてくれと言われましたが、
2軍で、また何ヶ月も中6日で投げる気持ちになれませんでした。
心が折れました。
と。
しかし大野雄大投手はプロ野球選手として、
その折れた気持ちを態度には出しませんでした。
練習は黙々とこなしました。
というのも、
大野雄大:
若狭さん、
これまで引退していく先輩たちがそうだったんです。
吉見さんも山井さんもみんな、
最後の年もひたむきに手を抜かず、
暑い、暑いナゴヤ球場で若手と一緒に練習に取り組んでいました。
投げやりな態度は雰囲気を悪くする。
それだけは絶対にしませんでした。
でも、でも、僕の心は折れたままでした。
と。
2軍の登板を見ます。
すると変な記録が残っています。
7月5日、オリックス戦、
ずっとこれまで先発ですよ、大野雄大投手というのは。
なぜか中継ぎで1回1/3を投げています。
この理由を聞きました。
大野雄大:
ありましたね。
中継ぎで投げた試合。
それ、正直に言いますね。
表向きは短いイニングを全力で投げて、
ストレートの威力、出力を上げることが目的と言っていました。
これは表向きと言いましたが、
本当にそういう気持ちもあったにはあったんです。
長いイニングを投げるんじゃなく、
1回を100パーセント、120パーセントで腕を振って、
ストレートがどれだけ戻るかっていうのを試してみたかったので、
ショートイニングで投げたいという思いもあって、
短いイニングを投げさせてもらったんですが、
でも本音はもうこっちが8割,9割です。
本音は、もう先発で投げる気力がありませんでした。
と。
これは初めて聞きましたねぇ…。
さらに7月13日くふうハヤテ戦、5回1失点。
これは先発で投げているんですよ。
「あっ、まぁまぁ先発で試合を作っているじゃないか」と思ったんですが、
これも吐露してくれました。
大野雄大:
あの日、僕はとうとう先発ピッチャーとしては言ってはいけないと思うんですが、
5回を投げたあとに、
「もう代えてください」と言っちゃいました。
もう、それ以降、投げる気力がない。
炎が消えたという表現が一番良いと思います。
と。
これは大野雄大投手はアスリートとして、
ロウソクの炎がですね、常にメラメラメラメラ燃えていた。
2020年の時というのは燃えたぎっていたわけなんです。
もうプツンと炎が消えたわけなんです。
2軍の試合、5回1失点。
暑い、暑い7月の試合。
大野雄大:
もういいです。
代えてください。
と。
これね、僕も何人も何人もプロ野球選手を見てきていますが、
引退する選手、辞める選手の兆候です。
最初はだいたいみんな体に異変、ケガがあるんですね、
なかなか体が思うように年齢も重ねてきて復活しない。
結果が出ない。
そこから心、メンタルがやられる。
しかも一度脚光を浴びて、
エース、チームの顔になった選手であればあるほど、
そこからもう一回頑張るって難しい。
で、大野投手は、それでも今年、5月は頑張った。
6月の試合を1軍で与えられた。
ここで言わば二度やられてるわけです。
4月の甲子園、6月のバンテリン。
で、ここから復帰するには心がついていかないということで、
プツンと緊張の糸が切れたんですね。
これは、もう引き際を考える選手の流れです。
ところがですね、
この消えたロウソクの軸芯に優しい炎を毎回、毎回、つけてくれた人がいました。
今まで私がご紹介したこのような話は、
これは今だから僕にも言えるんですが、
その当時、誰にも言えなかったそうです。
当然、選手に言えませんよね、こんな。
しかも大野雄大投手が、ベテラン、年上ですから、
若い選手に「俺、もうダメなんだ」と、
こんな空気を悪くするようなことは言えません。
これは、唯一、家族にも言えない。
唯一、1人だけ言っていたそうです。
その1人が、その1人が大野雄大投手に会うたびに、
ある人:
大丈夫、もう1回、先発で絶対に復帰できるから。
大丈夫、絶対に先発だよ、大野。
大野は絶対に先発だから大丈夫、
諦めるな。
と。
もう炎は消えています。
ロウソクは、もう全然、煙もない。
ところが会う度に着火してくれる人がいたんですね。
大野雄大投手は、その人のその言葉のおかげで、
もう一度、ついては消え、ついては消えのローソク、
ついたまんまの状態で、なんとか、かんとか、
7月21日、2軍のオリックス戦で7回を投げましたね。
無失点でした。
この結果をもとに1軍に上がりました。
8月3日の広島戦、1軍でなんとか5回3失点。
これは負け投手だったんですが、ゲームを作りました。
8月11日、巨人戦5回2失点、
負け投手でしたがなんとか役目を果たしました。
で、先日の8月18日バンテリンドーム ナゴヤでの阪神戦で、
7回3失点で、2勝目。
これはバンテリンで彼の通算50試合目。
この試合は既に新聞で報じられていますが、
6回で立浪監督がきて、
立浪監督:
おい、もう今日はこの辺でやめておくか?
もう6回、十分だよ。
大野雄大:
いや、いかせてください。
7回、いかせてください。
と。
確かに延長戦などもあって、
ピッチャーが結構、使われていたという、それまでの試合の流れであったり、
色々と台所事情が苦しんですが、
いや、いや大野雄大投手は、
大野雄大:
投げさせてもらうとか、
勝たせてもらうとかじゃなくて、
で、前回の5回1失点、4月の勝利というのは、
自分の本来のイニングイーターのピッチングではない。
いや、いや、いや、もう1回、この2勝目は、
長いイニングを投げ切って勝ちたいということで、
7イニングを志願して、
投げて、抑えて勝ったんです。
気になるのは唯一、誰にアスリートとしては吐いてはいけない弱音を吐いていたのか、
そして、その人は優しい言葉で、会う度に勇気づけてくれたのか。
それは一体、誰なのか。
大野雄大:
浅尾拓也2軍投手コーチです。
浅尾さんが、もう唯一、弱音を吐いていた人だし、
浅尾さんが僕に会う度に言葉をかけてくれました。
その浅尾さんがいなかったら、
今シーズンの僕はいなかったと思います。
2勝目を挙げたあと、すぐに浅尾さんにだけ電話をした。
浅尾さん、ありがとうございました。
浅尾さんが励ましたおかげで、
僕、勝てました、浅尾コーチ。
浅尾コーチ:
だから言ったじゃん!
先発で復帰できるって!!!
と、また返し方も浅尾さんっぽいなというか(笑)
なんか明るくね、和やかにちょっと軽快の返してくれるというのも、
浅尾さんぽいなと思いましたね。
浅尾投手というのは、かつてNPB、日本の頂点に立った男です。
で、そこからケガで苦しんだ。
なかなか1軍、2軍を行ったり来たり。
晩年はもう2軍ばかり、ケガもあった。
要するに大野雄大投手が見た景色を浅尾拓也投手も見ているからこそ伝えられる言葉、
できる接し方があったということですね。
大野雄大投手にとって今シーズンは、
1勝目は勝たせてもらった勝利、5回で降りてしまった。
本来の自分のピッチングではない中、掴んだ勝利。
もうモヤモヤ、不安上がる勝利でしたが、
今回の2勝目というのは、勝ち切った、投げ切った勝利であり、
かつてのイニングイーターぶりを見せられた勝利であり、
ストレートも復活し、本来のスタイルで掴んだ勝利。
モヤモヤ、不安のない、
改めてこれで、前に進める、
スッキリとした勝ち星だったということです。
『若狭敬一のスポ音』
若狭敬一のスポ音 | CBCラジオ | 2024/08/24/土 12:20-13:00
2対0で敗戦。負けはしましたが、大野雄大投手のピッチングに胸が熱くなりました。先発として7回2失点。昨日の「スポ音」で彼のこれまでを語りました。良かったら、radikoのタイムフリーでお聞きください。次の登板も期待しています! #スポ音 #大野雄大
— 若狭敬一のスポ音 (@cbcspoon1053) August 25, 2024
…
(中日・大野雄大投手、2024年の目標「勝負の年。キャリアハイに近い成績を残す」をカレンダーに書いたという話題の続き)
若狭アナ:
2024年になりました。
自主トレを過ごしました。
キャンプは北谷スタートでした、1軍でした。
オープン戦でも成績を残しました。
そして開幕ローテーションに入りました。
4月3日、巨人戦、5回1失点、556日ぶりの勝利。
もうね、我々も嬉しかったですよ!
今年、順調だ、大野雄大は白星発進!
「えっ!? 今年、何勝するんだ?左肘の手術から完全復活だ!」と、こう思っていました。
ところがです、
大野雄大:
今だから若狭さんに言いますが、
この、今シーズンの1勝目を振り返ると、
正直、左肘に少し痛みがありました。
手術した左肘に痛みがあった。
しかも、この日の登板だけではなく、
もうその前、オープン戦の頃から、
あまり左肘の状態は良くありませんでした。
今シーズンの1勝目、たったの5回しか投げていません。
66球という少ない球数だったのですが、
僕自身、ヘロヘロでした。
自分本来の長いイニングを投げ切っての勝利ではありませんでした。
この4月の勝利というのは首脳陣に投げさせてもらって、
勝たせてもらった勝利です。
正直、この登板後、今シーズン、
中6日で先発として回るのは厳しいなと思いました。
何とか投げて、登録抹消、
1回2軍に落ちて、調整して、
また登板間隔を空けて投げるという形で1年間頑張ろう。
正直、僕のようなピッチャーを首脳陣は使いにくかったと思います。
と、こう振り返りました。
本人は少し不安だったんですね。
で、明くる日、登録抹消になって、
登板間隔を空けて、1軍首脳陣は、また4月20日の阪神戦、
甲子園のマウンドを与えました。
不安は悪い方向に転がっていきました。
この日、かなり精神的な、肉体的なダメージを受けます。
なんとかつてのイニングイーター、沢村賞投手の大野雄大が、
1回1/3、2回途中、4安打、6失点でノックアウトです。
イニングイーターだった先発投手にとって屈辱の2回途中での降板。
左肘の状態もやはり万全ではありませんでした。
で、大野投手は振り返ります。
大野雄大:
あとで聞くと、
この日のピッチング、
僕を1回で首脳陣は交代させようとしていたらしいです。
もう自分は相当、1軍の首脳陣に信頼されていないなと思いました。
結果が全ての世界ですから自業自得、仕方がないことです。
ただ、かなりへこみました。
と振り返ります。
この日、大野雄大投手は調整ではありませんよ。
次の1軍登板を確約した2軍降格ではなく、
「下で中6日で投げられるようにしてきてくれ」、こう言われて2軍降格を告げられました。
これはですね、2軍でしばらく頑張れ、
しかも2軍で登板間隔を空けるのではなくて、
2軍で中6日で投げられるようになったら、1軍に帰ってきてください、
ということで、
これは、もう2軍降格だったんです。
心身共にボロボロですよ。
いわばベテラン投手は実績もあります。
2軍でもう1回、若手に混ざって、
中6日で投げるというのは結構、大変なんですが、
年末のあのカレンダーを思い出しました。
大野雄大:
「勝負の時。キャリアハイに近い成績を残す」と、
奮い立たせました。
ここでヘコたれるわけにはいかない。
5月から、4月20日にノックアウトされていますので、
左肘をケアをして、ちょっと治療もして、
5月からほぼ中6日でローテを守りました。
肘の状態も上がってきました。
ストレートも戻ってきました。
よし、これならストライクゾーンで、
真っすぐで勝負できる。
自分本来のピッチングができる。
イニングも稼げる。
よし、大丈夫。
と。
2軍からも報告がいきます。
1軍の首脳陣は大野雄大が約束通り2軍で、
色々とプライドもあっただろうし、
メンタルもキツかったかもしれないけれど、
なんとか中6日で2軍で回ってきて実績も出している。
「よし、1軍のマウンドを与えよう」ということで、
6月29日バンテリンドームのDeNA戦の先発を与えました。
大野雄大投手にとっては、この試合が今シーズンを左右する、
大きな、大きな登板だったんです。
ところが5回5失点で負け投手。
なんと3本のホームランも打たれました。
牧選手に2本、桑原選手に1本。
大野投手は振り返ります。
大野雄大:
バンテリンで3本ですよ。
自分の真っすぐは2軍で通用しても、
1軍のバッターには通用しないと痛感しました。
この日は、さすがにへこみました。
正直に言います。
あの日、また首脳陣に2軍で、
もう1回ローテーションで回ってきてくれと言われましたが、
2軍で、また何ヶ月も中6日で投げる気持ちになれませんでした。
心が折れました。
と。
しかし大野雄大投手はプロ野球選手として、
その折れた気持ちを態度には出しませんでした。
練習は黙々とこなしました。
というのも、
大野雄大:
若狭さん、
これまで引退していく先輩たちがそうだったんです。
吉見さんも山井さんもみんな、
最後の年もひたむきに手を抜かず、
暑い、暑いナゴヤ球場で若手と一緒に練習に取り組んでいました。
投げやりな態度は雰囲気を悪くする。
それだけは絶対にしませんでした。
でも、でも、僕の心は折れたままでした。
と。
2軍の登板を見ます。
すると変な記録が残っています。
7月5日、オリックス戦、
ずっとこれまで先発ですよ、大野雄大投手というのは。
なぜか中継ぎで1回1/3を投げています。
この理由を聞きました。
大野雄大:
ありましたね。
中継ぎで投げた試合。
それ、正直に言いますね。
表向きは短いイニングを全力で投げて、
ストレートの威力、出力を上げることが目的と言っていました。
これは表向きと言いましたが、
本当にそういう気持ちもあったにはあったんです。
長いイニングを投げるんじゃなく、
1回を100パーセント、120パーセントで腕を振って、
ストレートがどれだけ戻るかっていうのを試してみたかったので、
ショートイニングで投げたいという思いもあって、
短いイニングを投げさせてもらったんですが、
でも本音はもうこっちが8割,9割です。
本音は、もう先発で投げる気力がありませんでした。
と。
これは初めて聞きましたねぇ…。
さらに7月13日くふうハヤテ戦、5回1失点。
これは先発で投げているんですよ。
「あっ、まぁまぁ先発で試合を作っているじゃないか」と思ったんですが、
これも吐露してくれました。
大野雄大:
あの日、僕はとうとう先発ピッチャーとしては言ってはいけないと思うんですが、
5回を投げたあとに、
「もう代えてください」と言っちゃいました。
もう、それ以降、投げる気力がない。
炎が消えたという表現が一番良いと思います。
と。
これは大野雄大投手はアスリートとして、
ロウソクの炎がですね、常にメラメラメラメラ燃えていた。
2020年の時というのは燃えたぎっていたわけなんです。
もうプツンと炎が消えたわけなんです。
2軍の試合、5回1失点。
暑い、暑い7月の試合。
大野雄大:
もういいです。
代えてください。
と。
これね、僕も何人も何人もプロ野球選手を見てきていますが、
引退する選手、辞める選手の兆候です。
最初はだいたいみんな体に異変、ケガがあるんですね、
なかなか体が思うように年齢も重ねてきて復活しない。
結果が出ない。
そこから心、メンタルがやられる。
しかも一度脚光を浴びて、
エース、チームの顔になった選手であればあるほど、
そこからもう一回頑張るって難しい。
で、大野投手は、それでも今年、5月は頑張った。
6月の試合を1軍で与えられた。
ここで言わば二度やられてるわけです。
4月の甲子園、6月のバンテリン。
で、ここから復帰するには心がついていかないということで、
プツンと緊張の糸が切れたんですね。
これは、もう引き際を考える選手の流れです。
ところがですね、
この消えたロウソクの軸芯に優しい炎を毎回、毎回、つけてくれた人がいました。
今まで私がご紹介したこのような話は、
これは今だから僕にも言えるんですが、
その当時、誰にも言えなかったそうです。
当然、選手に言えませんよね、こんな。
しかも大野雄大投手が、ベテラン、年上ですから、
若い選手に「俺、もうダメなんだ」と、
こんな空気を悪くするようなことは言えません。
これは、唯一、家族にも言えない。
唯一、1人だけ言っていたそうです。
その1人が、その1人が大野雄大投手に会うたびに、
ある人:
大丈夫、もう1回、先発で絶対に復帰できるから。
大丈夫、絶対に先発だよ、大野。
大野は絶対に先発だから大丈夫、
諦めるな。
と。
もう炎は消えています。
ロウソクは、もう全然、煙もない。
ところが会う度に着火してくれる人がいたんですね。
大野雄大投手は、その人のその言葉のおかげで、
もう一度、ついては消え、ついては消えのローソク、
ついたまんまの状態で、なんとか、かんとか、
7月21日、2軍のオリックス戦で7回を投げましたね。
無失点でした。
この結果をもとに1軍に上がりました。
8月3日の広島戦、1軍でなんとか5回3失点。
これは負け投手だったんですが、ゲームを作りました。
8月11日、巨人戦5回2失点、
負け投手でしたがなんとか役目を果たしました。
で、先日の8月18日バンテリンドーム ナゴヤでの阪神戦で、
7回3失点で、2勝目。
これはバンテリンで彼の通算50試合目。
この試合は既に新聞で報じられていますが、
6回で立浪監督がきて、
立浪監督:
おい、もう今日はこの辺でやめておくか?
もう6回、十分だよ。
大野雄大:
いや、いかせてください。
7回、いかせてください。
と。
確かに延長戦などもあって、
ピッチャーが結構、使われていたという、それまでの試合の流れであったり、
色々と台所事情が苦しんですが、
いや、いや大野雄大投手は、
大野雄大:
投げさせてもらうとか、
勝たせてもらうとかじゃなくて、
で、前回の5回1失点、4月の勝利というのは、
自分の本来のイニングイーターのピッチングではない。
いや、いや、いや、もう1回、この2勝目は、
長いイニングを投げ切って勝ちたいということで、
7イニングを志願して、
投げて、抑えて勝ったんです。
気になるのは唯一、誰にアスリートとしては吐いてはいけない弱音を吐いていたのか、
そして、その人は優しい言葉で、会う度に勇気づけてくれたのか。
それは一体、誰なのか。
大野雄大:
浅尾拓也2軍投手コーチです。
浅尾さんが、もう唯一、弱音を吐いていた人だし、
浅尾さんが僕に会う度に言葉をかけてくれました。
その浅尾さんがいなかったら、
今シーズンの僕はいなかったと思います。
2勝目を挙げたあと、すぐに浅尾さんにだけ電話をした。
浅尾さん、ありがとうございました。
浅尾さんが励ましたおかげで、
僕、勝てました、浅尾コーチ。
浅尾コーチ:
だから言ったじゃん!
先発で復帰できるって!!!
と、また返し方も浅尾さんっぽいなというか(笑)
なんか明るくね、和やかにちょっと軽快の返してくれるというのも、
浅尾さんぽいなと思いましたね。
浅尾投手というのは、かつてNPB、日本の頂点に立った男です。
で、そこからケガで苦しんだ。
なかなか1軍、2軍を行ったり来たり。
晩年はもう2軍ばかり、ケガもあった。
要するに大野雄大投手が見た景色を浅尾拓也投手も見ているからこそ伝えられる言葉、
できる接し方があったということですね。
大野雄大投手にとって今シーズンは、
1勝目は勝たせてもらった勝利、5回で降りてしまった。
本来の自分のピッチングではない中、掴んだ勝利。
もうモヤモヤ、不安上がる勝利でしたが、
今回の2勝目というのは、勝ち切った、投げ切った勝利であり、
かつてのイニングイーターぶりを見せられた勝利であり、
ストレートも復活し、本来のスタイルで掴んだ勝利。
モヤモヤ、不安のない、
改めてこれで、前に進める、
スッキリとした勝ち星だったということです。
中日・大野雄大が「目標にしている先輩ですから超えてデカい顔したいですね」と語るのが…
中日・大野雄大、ファームでの再調整中には「引退」の2文字もよぎったが…
大野雄大投手を励まし続けていた浅尾コーチです。