■2024.08.24 福谷 浩司/ Koji Fukutani(@FKJ17)さん / Twitter
たくさんのご声援、ありがとうございました🙏
— 福谷 浩司/ Koji Fukutani (@FKJ17) August 23, 2024
野手のみんな、ありがとう✨
翔さん、福、ソブさんありがとうございました🙇♂️
そして、翔平ありがとう💪@Rawlings_japan pic.twitter.com/enLEdvZXUA
昨日の試合についての振り返りです📗
— 福谷 浩司/ Koji Fukutani (@FKJ17) August 24, 2024
自分の思う「最後」について、少し考えてみました🙂#note #振り返りnote https://t.co/oAKhCGTw36
■2024.08.24 Koji Fukutani/福谷浩司(ふくたにこうじ)|note
1年3ヶ月ぶりの勝利投手
これが「最後」かもしれない
昨日のインタビューや取材の中で(いやこれまでのそれらの中でも何回か口にしていますが)「これで最後かもしれないと思ってプレーしてます」と言いました。
それに対して、スタンドから「まだ諦めるには早いぞー」みたいな声を頂きました。ありがとうございます。
ただ、僕の中では諦めの気持ちはありません。
僕が使ってる言葉とそのニュアンスが少しズレてるのかな、と思いました。
なので、この「最後かもしれない」って言葉を、今の自分がどう捉えて使っているのかを書かせてもらいます。
自分の中でもすこし整理したいので。
いま僕はドラゴンズのユニフォームを着てプレーしていますが、それがいつできなくなるかはわかりません。考えたらキリがないくらい、プレーできなくなる要因が出てきます。
- ケガするかもしれない
- 戦力外になるかもしれない
- 試合での出場機会がゼロになるかもしれない
- チームそのものがなくなるかもしれない
- 感染症などでチーム活動ができなくなるかもしれない
もちろん、プレーできなくなった先で、また違うきっかけで別チームなどでプレーする可能性もあります。
ですが、いま着ているユニフォーム、いまプレーしている環境はいつ終わってもおかしくないと思うようになりました。
これは長期離脱のケガをしたり、コロナで開幕が遅れたり、アメリカに行っていろんな選手の境遇を聞いたりしたことでたどり着いた僕の考えかたです。
つまり…いま自分に起こっている日常がいつ終わるかわからない不安定なもので、むしろ「あたりまえ」と思っていることは必ずしもあたりまえじゃない、ってことですね。
そっか…「あたりまえ」か。
僕が使っている「これで最後かもしれない」って言葉は、言い換えるなら「いまプレーできてることをあたりまえと思ってませんよ」ってことなのかもしれません。たぶん。
なんか哲学っぽくなってきそうですね。
振り返ったり日記を書いたりしながら、自分の感情や言葉と引き続き向き合っていきたいと思います。
そして自然体で、呼吸をするようにプレーできるようにトレーニングを続けます。
ありがとうございました。
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中日・福谷浩司、8月23日の試合前に家族に告げてマウンドに上がる「これが最後の登板かもしれないから」
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福谷投手が語りました。