■2024.08.20 CBC MAGAZINE(CBCマガジン)
実は深刻な“正捕手”問題、明日のドラゴンズへチーム作りの大きな盲点とは?
石橋“正捕手”への期待
次世代の“正捕手”候補として竜党の間でも衆目一致するのが、石橋康太である。2018年(平成30年)のドラフト4位。入団1年目の夏に、1歳年上の清水達也と“10代バッテリー”を組んでスタメン出場し、三塁打を放つなど活躍してチームも勝利した。「将来10年以上、ドラゴンズのホームベースは大丈夫」と球団フロント幹部が大喜びしていた記憶もある。
しかし、石橋もすでに6年目を迎えた。2023年の出場数39試合が自己最多というのだから、その成長スピードは遅いと言わざるを得ない。活躍しても継続的に起用されないという現実もある。侍ジャパンの井端弘和監督に選ばれて、日本代表チームも経験しただけに「なぜドラゴンズでは?」と、つい首を傾げてしまう。
偏った捕手の年齢層
立浪ドラゴンズは、アリエル・マルティネス、そして郡司裕也という2人の「捕手」を放出した。現在、北海道日本ハムファイターズで活躍中だが、2人共“捕手以外”でのスタメン出場となっていて、ドラゴンズに残っていたとしても、マスクをかぶり続けていたかどうかは分からない。しかし、チームの捕手全体のバランスは常に考えなければならない。
木下、宇佐見、そして加藤の3捕手は全員が30代であり、一方で、味谷大誠と山浅龍之介は高卒3年目と2年目の若さである。その中間に位置するのは石橋ただひとり、しかし、現在は1軍登録を抹消されて2軍で調整中である。一体ドラゴンズは、将来の正捕手を誰に託すのだろうか。
優勝時には“正捕手”あり
ドラゴンズがリーグ優勝した時には必ず“正捕手”が存在した。日本一にもなった1954年(昭和29年)には野口明。讀賣ジャイアンツの10連覇を阻止して20年ぶりにリーグ優勝した1974年(昭和49年)には“マサカリ打法”の木俣達彦。近藤貞雄監督の“野武士野球”で優勝した1982年(昭和57年)には中尾孝義。打って守って走れるキャッチャーで、シーズンMVPにも選ばれた。
星野仙一監督時代の2度の優勝を支えたのは中村武志。そして、落合博満監督が築いた黄金時代には、谷繫元信がマスクをかぶり続けた。強いチーム作りに“正捕手”は欠かせない。それは、二遊間が先か、正捕手が先かという問題ではなく、センターラインを固める上で同時に必要なのである。
正捕手という存在は、少なくとも“すい星のように”いきなり登場してくるものではない。その気になって育てることこそ重要である。このままでは、ドラゴンズは次のシーズンも、日替わりマスクになりそうな可能性がある。内野手の数だけがやたら目立つ中、ここまでのチーム作りの歪(ひず)みを、いよいよ修正していかなければいけない時期に差しかかっている。
【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
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