■2023.08.26 中日スポーツ
「正直、2000安打を打てる選手だとは思わなかった」谷繁元信さんが語った大島洋平…プロ3年目に激変の“分岐点”【中日】#大島洋平 #谷繁元信 #2000本安打 #中日ドラゴンズ https://t.co/TxPqQHJ3b9
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■2023.08.26 中日スポーツ
「正直、2000安打を打てる選手だとは思わなかった」谷繁元信さんが語った大島洋平…プロ3年目に激変の“分岐点”【中日】
谷繁さんは「正直なことを言っていいかな」と前置きしつつ「最初に見た時は、とても2000安打を打てる選手だとは思わなかった」と本音を漏らした。大島のルーキーイヤーは2010年。当時、中日黄金時代の正捕手だった男の目には名球会入りするほどの逸材とは到底思えなかったという。
「スピードがあって守備範囲の広い外野手のイメージが強かった」。そんな大島がレギュラーとして定着したのはプロ3年目の2012年。谷繁さんは、ここから急激な成長と変化を感じ取ったという。「2月1日に大島の動きを見ると、今シーズンが開幕してもいい状態。オフに相当、練習しているなとすぐ感じることができた」。大きな故障もすることなくコンスタントに好成績を積み上げた背番号8。谷繁さんは「この世界は1、2年働く選手はいる。最も難しいのが継続。自分の成績に慢心することなく、いかにコツコツと積み上げていくことができるか。大島はそれをやり遂げきたし、そのスタンスは現役が終わるまで続くでしょうね」と総括した。
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中日・大島洋平、ルーキーイヤーの4月12日に2軍行きを告げられ“不思議な指示” 当時の落合博満監督は何の説明もしてくれなかったが…?
2011年当時の中日・落合博満監督「お前明日4番」 谷繁元信捕手「4番はいいです」 落合博満監督「じゃあ5番。お前ファーストできるか」
大島選手について語りました。