■2022.10.17 田尾安志【TAO CHANNEL】公式YouTube – YouTube
次期監督候補、実は与田ではなく〇〇だった。球団内部はどんでん返しの連続。【森繁和さんコラボ6話】
(※7:26~)
森繁和:
(組閣が)固まったあとにね、また色々…、
内部のことあんまり言いたくないんだけど色々あって、
どんでん返しがあってね、
それが直接、オーナーに直接合わせてくれっていうことになって、
俺の知らないところでなっちゃって。
田尾:
あ~、だいたい雰囲気分かってきたな(笑)
監督やりたいっていう人だな、
っていうことでしょうね。
森繁和:
それは終わって、
俺は、中日っていうのは俺にとって物凄く…。
別にOB会がどうのこうのじゃない、中日のOBとして扱ってくれるところがあったから、
いいものがあろうが絶対長くやらないと、
2年,3年ごとに、やるたび、やるたび変えちゃうと良くはないなとずっと考えていました。
田尾:
それはそうですよ。
だからなんで、あれフロントの仕事、
2年ぐらいやったの?
森繁和:
1年です。
田尾:
1年でしょう?
あれもったいないよね。
森繁和:
あの時もそういって言われたんで、俺も辞める、
もちろん当然、落合さんもその前にGMを辞めているし、
その時にSDって変な名前の。
田尾:
シニアディレクター。
森繁和:
そうそうそう(笑)
外国人と編成のほうはちょっと今まで通りやって見てくれということで白井さんと話して、
そしたら新しいものができると、
もちろん代表も変わるじゃないですか?
田尾:
変わるよね。
森繁和:
ちょうどあの時、西山さんがいたんですけど、
あの時、白井さんが西山さんに「社長をやれ」といったんですよ。
田尾:
球団社長ね。
森繁和:
そしたら西山さんは「いや、俺、この席が一番楽です、代表席でやらせてください」って。
「そうか、分かった」と言ったんですけど、
あの時、球団社長になっていたら、また別だったんですよ。
あんまり考えていないんですね。
社長だと70歳から、
代表だと65歳で終わりなんです。
田尾:
あ~、そういうことか。
社長やりゃよかった?
森繁和:
やってりゃよかったんですよ。
そしたらたらまだやっているんですよ。
新しい代表が来たんですよ。
そしたら、その年にもう俺は「終わります」と言われたから。
田尾:
1年で?
森繁和:
1年で。
話が違う、
「じゃあ、もういいです」と何も話すことはないとやめました。
田尾:
ちょっとがっかりしちゃうよね。
今、ドラゴンズは今年はもう最下位でたぶん終わると思うんだけど、
お金もあんまりない、そういう状況の中で、
やっぱり補強していくために僕は必要なのはGMだと思うんだよ。
11球団、それ以外アマチュア、
そういうところに話し合いができるGMが欲しいんですよ。
だからそういうシニアディレクターを1年でやめたっていうのは非常に残念でね。
森繁和:
俺もだから、あの時、請けて「やります」と言ったけど、
それをやっぱりいる人が嫌だって人がいたらそりゃしょうがないですよね。
それを監督が決めることなのかっていうことなんですよ。
田尾:
そうだね。
やっぱり…。
森繁和:
そこだと思うんですよ。
でもやっぱり新しい人達が来た時点で、代表が変わったり、
社長が変わったりして一緒になって動いていた時に、
もう全部自分でやりたいになった時に。
田尾:
それはおかしい。
森繁和:
その時も与田もドミニカにも行ったしキューバにも行ってましたよ。
それで選手を何人か連れて来たのも何人か連れて来たのもいるでしょうけど、
結局、その道が途絶えることが多くなっちゃった時に、
今までのアレ(道)が無くなるわけじゃないですか。
次期監督候補、実は与田ではなく〇〇だった。球団内部はどんでん返しの連続。【森繁和さんコラボ6話】
(※7:26~)
森繁和:
(組閣が)固まったあとにね、また色々…、
内部のことあんまり言いたくないんだけど色々あって、
どんでん返しがあってね、
それが直接、オーナーに直接合わせてくれっていうことになって、
俺の知らないところでなっちゃって。
田尾:
あ~、だいたい雰囲気分かってきたな(笑)
監督やりたいっていう人だな、
っていうことでしょうね。
森繁和:
それは終わって、
俺は、中日っていうのは俺にとって物凄く…。
別にOB会がどうのこうのじゃない、中日のOBとして扱ってくれるところがあったから、
いいものがあろうが絶対長くやらないと、
2年,3年ごとに、やるたび、やるたび変えちゃうと良くはないなとずっと考えていました。
田尾:
それはそうですよ。
だからなんで、あれフロントの仕事、
2年ぐらいやったの?
森繁和:
1年です。
田尾:
1年でしょう?
あれもったいないよね。
森繁和:
あの時もそういって言われたんで、俺も辞める、
もちろん当然、落合さんもその前にGMを辞めているし、
その時にSDって変な名前の。
田尾:
シニアディレクター。
森繁和:
そうそうそう(笑)
外国人と編成のほうはちょっと今まで通りやって見てくれということで白井さんと話して、
そしたら新しいものができると、
もちろん代表も変わるじゃないですか?
田尾:
変わるよね。
森繁和:
ちょうどあの時、西山さんがいたんですけど、
あの時、白井さんが西山さんに「社長をやれ」といったんですよ。
田尾:
球団社長ね。
森繁和:
そしたら西山さんは「いや、俺、この席が一番楽です、代表席でやらせてください」って。
「そうか、分かった」と言ったんですけど、
あの時、球団社長になっていたら、また別だったんですよ。
あんまり考えていないんですね。
社長だと70歳から、
代表だと65歳で終わりなんです。
田尾:
あ~、そういうことか。
社長やりゃよかった?
森繁和:
やってりゃよかったんですよ。
そしたらたらまだやっているんですよ。
新しい代表が来たんですよ。
そしたら、その年にもう俺は「終わります」と言われたから。
田尾:
1年で?
森繁和:
1年で。
話が違う、
「じゃあ、もういいです」と何も話すことはないとやめました。
田尾:
ちょっとがっかりしちゃうよね。
今、ドラゴンズは今年はもう最下位でたぶん終わると思うんだけど、
お金もあんまりない、そういう状況の中で、
やっぱり補強していくために僕は必要なのはGMだと思うんだよ。
11球団、それ以外アマチュア、
そういうところに話し合いができるGMが欲しいんですよ。
だからそういうシニアディレクターを1年でやめたっていうのは非常に残念でね。
森繁和:
俺もだから、あの時、請けて「やります」と言ったけど、
それをやっぱりいる人が嫌だって人がいたらそりゃしょうがないですよね。
それを監督が決めることなのかっていうことなんですよ。
田尾:
そうだね。
やっぱり…。
森繁和:
そこだと思うんですよ。
でもやっぱり新しい人達が来た時点で、代表が変わったり、
社長が変わったりして一緒になって動いていた時に、
もう全部自分でやりたいになった時に。
田尾:
それはおかしい。
森繁和:
その時も与田もドミニカにも行ったしキューバにも行ってましたよ。
それで選手を何人か連れて来たのも何人か連れて来たのもいるでしょうけど、
結局、その道が途絶えることが多くなっちゃった時に、
今までのアレ(道)が無くなるわけじゃないですか。
2018年の中日、最初は“落合英二監督”に監督就任要請をしようとしていたことが明かされる
森繁和さんが明かす、ドラフトでの“親会社・フロントの意向”
詳細は伏せられていますが、何らかのどんでん返しがあったようです。