■2020.12.16 ドデスカ!
『戦力外 鈴木翔太(25) 名古屋に別れ』
鈴木翔太:
沢山の思い出もありますし、
正直、寂しいっていう気持ちのほうが強いので。
─名古屋のシンボルを前に語るのはドラゴンズを戦力外となった鈴木翔太。2013年にドラフト1位で入団。その背中には期待の大きさが現れていました。
鈴木翔太:
球界の中では18番がエース番号なので、
凄い重みというのも感じました。
─輝き始めたのは4年目。待望のプロ初勝利を含む5勝をマーク!さらなる飛躍を求め、翌年1月にはオーストラリアで武者修行。
鈴木翔太:
手応えは掴んだっていうか、
どこまで自分ができるかとか。
─しかし、待っていたのは苦難の道。鈴木を襲ったのが右手の血行障害…。
鈴木翔太:
徐々に何か痛みが出てきたりとか、
指の冷たさっていうのが増してきたなというのは感じて、
指先で投げている感覚はなかったです。
─手術を決断し、利き腕の右手にメスを入れました。再び1軍の舞台で輝く、その思いだけが原動力でした。
鈴木翔太:
覚悟を決めて手術を決めて、
やるしかないと思うので、
本当に必死になって毎日やっていきたいです。
─結果が全てのプロの世界。この2年間、1軍での登板は0。そして先月、25歳の若さで戦力外通告を受けました。
鈴木翔太:
正直このままだったら終わるなというのは自分の中でも感じていたので、
もう少し諦めずに野球をやりたいなというのは思いました。
─トライアウトに向け準備を進める中、阪神から現役続行へのオファーが舞い込みました。
鈴木翔太:
やってきたことをそのままパフォーマンスを出せれば、
まだ可能性はあるとまだ自分の中で信じて練習をしてきたので、
阪神の方ででやらせてもらえるとなった時は凄く嬉しかったですし。
─ドラゴンズで過ごした7年間の思いを胸に新天地での活躍を誓います。
<ドラゴンズファンへのメッセージ>
鈴木翔太:
この悔しさをぶつけて活躍できるように、
それが僕の中では恩返しになると思っているので、
来年からも応援よろしくお願いします。
『戦力外 鈴木翔太(25) 名古屋に別れ』
鈴木翔太:
沢山の思い出もありますし、
正直、寂しいっていう気持ちのほうが強いので。
─名古屋のシンボルを前に語るのはドラゴンズを戦力外となった鈴木翔太。2013年にドラフト1位で入団。その背中には期待の大きさが現れていました。
鈴木翔太:
球界の中では18番がエース番号なので、
凄い重みというのも感じました。
─輝き始めたのは4年目。待望のプロ初勝利を含む5勝をマーク!さらなる飛躍を求め、翌年1月にはオーストラリアで武者修行。
鈴木翔太:
手応えは掴んだっていうか、
どこまで自分ができるかとか。
─しかし、待っていたのは苦難の道。鈴木を襲ったのが右手の血行障害…。
鈴木翔太:
徐々に何か痛みが出てきたりとか、
指の冷たさっていうのが増してきたなというのは感じて、
指先で投げている感覚はなかったです。
─手術を決断し、利き腕の右手にメスを入れました。再び1軍の舞台で輝く、その思いだけが原動力でした。
鈴木翔太:
覚悟を決めて手術を決めて、
やるしかないと思うので、
本当に必死になって毎日やっていきたいです。
─結果が全てのプロの世界。この2年間、1軍での登板は0。そして先月、25歳の若さで戦力外通告を受けました。
鈴木翔太:
正直このままだったら終わるなというのは自分の中でも感じていたので、
もう少し諦めずに野球をやりたいなというのは思いました。
─トライアウトに向け準備を進める中、阪神から現役続行へのオファーが舞い込みました。
鈴木翔太:
やってきたことをそのままパフォーマンスを出せれば、
まだ可能性はあるとまだ自分の中で信じて練習をしてきたので、
阪神の方ででやらせてもらえるとなった時は凄く嬉しかったですし。
─ドラゴンズで過ごした7年間の思いを胸に新天地での活躍を誓います。
<ドラゴンズファンへのメッセージ>
鈴木翔太:
この悔しさをぶつけて活躍できるように、
それが僕の中では恩返しになると思っているので、
来年からも応援よろしくお願いします。
中日戦力外の鈴木翔太投手、阪神タイガース入団が正式に発表される
鈴木翔太投手「ドラゴンズで7年間、沢山の方と出会う事ができ、憧れていた先輩方や友達みたいな後輩たちと一緒に野球が出来た事が僕にとって一生の思い出です」
鈴木翔太投手の復活をドラゴンズで見られないのはやっぱり寂しいですが、新天地でも頑張ってや…!