燃えよドラゴンズSP ~「柱」精密機械を支えた真実~[字]
12/21 (月) 0:50 ~ 1:20(30分)
CBCテレビ(Ch.5)
▽2020年11月。ドラゴンズの投手陣の「柱」としてチームを支えた吉見一起が引退。投げることで感謝の気持ちを伝え続けた吉見を支えたものとは?
2006年に中日ドラゴンズに入団し、2008年から5年連続2ケタ勝利をあげるなど黄金期にエースとして活躍した吉見一起。 森繁和投手コーチ(当時)と谷繁元信捕手(当時)から「生命線は制球力」と言われた。言葉の意味を理解したのは3年後。自身で「生きる道」を感じ、その投球が「精密機械」と称されるようになった頃には、チームの「柱」となっていた。 引退セレモニーでも感謝を述べた恩師らが吉見を語る。
また、ケガとの戦いの現役生活でもあった。肘にはケガの後が残る。 二軍にいては「プロ野球選手ではない」と一軍でのマウンドを目指し続けた。 引退を決めた2020年も自分の信念を曲げることなく練習に励んだ。 吉見の背中を追い続けた大野雄大投手、バッテリーを組んだ木下拓哉捕手、2人の後輩が吉見の凄さ、後輩に伝えていきたい吉見の思いを語る。
また、引退セレモニーで息子3人から花束を受け取り、涙を流した姿が記憶に新しいが、家族からの手紙を受け取った吉見が見せる表情は、マウンドのそれとは全く違うものだった。 15年のプロ野球生活を振り返るとともに、それを支えた真実に迫る。
吉見一起(元中日ドラゴンズ投手)
大野雄大(中日ドラゴンズ選手)
木下拓哉(中日ドラゴンズ選手)
落合博満(元中日ドラゴンズ監督)
森繁和(元中日ドラゴンズ監督)
ほか
中日ドラゴンズの黄金期に投手陣の「柱」としてチームを支えた吉見一起投手の引退特番。 正確無比のコントロールと、淡々と打者と対峙している姿を表し「精密機械」と呼ばれた吉見一起投手。 しかし、ユニフォームを脱いだ途端、一人の父親の顔になる。吉見投手の投球を支えたのは、奥様と3人の息子だったのだろうと、その表情の変化からも見て取れる。
番組では、投手陣の「柱」として、家族の「柱」としてプロ野球生活を全うした吉見一起投手の思いに触れる。 「精密機械」を支えた真実に迫る!
12/21 (月) 0:50 ~ 1:20(30分)
CBCテレビ(Ch.5)
▽2020年11月。ドラゴンズの投手陣の「柱」としてチームを支えた吉見一起が引退。投げることで感謝の気持ちを伝え続けた吉見を支えたものとは?
2006年に中日ドラゴンズに入団し、2008年から5年連続2ケタ勝利をあげるなど黄金期にエースとして活躍した吉見一起。 森繁和投手コーチ(当時)と谷繁元信捕手(当時)から「生命線は制球力」と言われた。言葉の意味を理解したのは3年後。自身で「生きる道」を感じ、その投球が「精密機械」と称されるようになった頃には、チームの「柱」となっていた。 引退セレモニーでも感謝を述べた恩師らが吉見を語る。
また、ケガとの戦いの現役生活でもあった。肘にはケガの後が残る。 二軍にいては「プロ野球選手ではない」と一軍でのマウンドを目指し続けた。 引退を決めた2020年も自分の信念を曲げることなく練習に励んだ。 吉見の背中を追い続けた大野雄大投手、バッテリーを組んだ木下拓哉捕手、2人の後輩が吉見の凄さ、後輩に伝えていきたい吉見の思いを語る。
また、引退セレモニーで息子3人から花束を受け取り、涙を流した姿が記憶に新しいが、家族からの手紙を受け取った吉見が見せる表情は、マウンドのそれとは全く違うものだった。 15年のプロ野球生活を振り返るとともに、それを支えた真実に迫る。
吉見一起(元中日ドラゴンズ投手)
大野雄大(中日ドラゴンズ選手)
木下拓哉(中日ドラゴンズ選手)
落合博満(元中日ドラゴンズ監督)
森繁和(元中日ドラゴンズ監督)
ほか
中日ドラゴンズの黄金期に投手陣の「柱」としてチームを支えた吉見一起投手の引退特番。 正確無比のコントロールと、淡々と打者と対峙している姿を表し「精密機械」と呼ばれた吉見一起投手。 しかし、ユニフォームを脱いだ途端、一人の父親の顔になる。吉見投手の投球を支えたのは、奥様と3人の息子だったのだろうと、その表情の変化からも見て取れる。
番組では、投手陣の「柱」として、家族の「柱」としてプロ野球生活を全うした吉見一起投手の思いに触れる。 「精密機械」を支えた真実に迫る!
吉見一起さん「抑えは絶対したくないです」
CBC野球解説者に就任が決定した吉見一起さんへ落合博満さんからメッセージが届く
日曜日の深夜放送となります。お見逃しなく…!