■2019.12.28 権藤 ゴンドウ 雨、ゴンドウ ~壊れた肩が築いた“教えない教え”~
─権藤博さんのプロ入り時。磨き上げた直球と大きく曲なカーブは複数の球団の目に止まり、憧れだった巨人との交渉に臨みました。
権藤さん:
巨人の代表は「とにかく君は絶対に欲しいから、よそより高く出すから、よその条件を言ってくれ」って。
(※ドラフト制度は1965年から 当時の選手獲得は自由競争だった)
自分がどれくらい評価されているかなんて分からないじゃないですか?
とにかく、よそより欲しいと言われても200~300万円なのか、400~500万円は出てこないだろうとか、
勝手にそう思っているわけですよね。
─金額提示の無かった巨人に対し、中日は…
権藤さん:
その時に金額がですね、700万円という金額だったんですよ。
ビックリしました。ビックリしたというか、はぁ~!っと思って。
この条件を聞いてね、もう一回よそに行くというのもね何かなと思ったのと、
それから、やっぱり仕事で行くんだったら名古屋くらいが自分に良い所かなという。
─そして1961年、昭和36年、22歳の権藤さんは憧れていた巨人ではなく、迷わず中日への入団を決意しました。
権藤さん:
巨人に東京で条件提示されていたら契約していました(笑)
それと巨人監督の水原茂さんから「君頼むよ」って言われていたら「はい」で終わりです。もう金額も聞く前に(笑)
─権藤博さんのプロ入り時。磨き上げた直球と大きく曲なカーブは複数の球団の目に止まり、憧れだった巨人との交渉に臨みました。
権藤さん:
巨人の代表は「とにかく君は絶対に欲しいから、よそより高く出すから、よその条件を言ってくれ」って。
(※ドラフト制度は1965年から 当時の選手獲得は自由競争だった)
自分がどれくらい評価されているかなんて分からないじゃないですか?
とにかく、よそより欲しいと言われても200~300万円なのか、400~500万円は出てこないだろうとか、
勝手にそう思っているわけですよね。
─金額提示の無かった巨人に対し、中日は…
権藤さん:
その時に金額がですね、700万円という金額だったんですよ。
ビックリしました。ビックリしたというか、はぁ~!っと思って。
この条件を聞いてね、もう一回よそに行くというのもね何かなと思ったのと、
それから、やっぱり仕事で行くんだったら名古屋くらいが自分に良い所かなという。
─そして1961年、昭和36年、22歳の権藤さんは憧れていた巨人ではなく、迷わず中日への入団を決意しました。
権藤さん:
巨人に東京で条件提示されていたら契約していました(笑)
それと巨人監督の水原茂さんから「君頼むよ」って言われていたら「はい」で終わりです。もう金額も聞く前に(笑)
「仕事で行くんだったら名古屋くらい」っていうのも何とも権藤さんらしい理由ですね。