■2026.08.13 RadiChubu-ラジチューブ-
一度は野球選手をあきらめた?中日OB・吉見一起の野球少年時代
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野球少年、大海を知る
吉見さんは地元・吹田市の片山中学校へ入学し、軟式野球部に所属しました。
小学校時代に所属していた少年野球チーム「吹田ニューヤング」のメンバー15人のほとんどが入部したそう。
入部時はかなり強いと思ったそうですが、全く勝てず「めちゃくちゃ弱かった」とのこと。
吉見「小学校の小っちゃな世界しか知らなかった。全国の予選も行ってるんですが、ちょっと規模が大きくなったら、すごい人がいっぱいいるなと思ったんです」
後にオリックスに入団して監督にもなった岸田護さんをはじめ、野球選手にならずとも高校の名門校へ行き大学、社会人まで活躍する野球少年が吹田市にはごろごろいたとか。
初めてのエースナンバー
中学ではこれまでの世界とは違い、実力を見せつけられた頃、小学校の頃エースだった子が野手に転向。吉見さんは片山中学校で初めてエースナンバー1番を背負いました。しかし…。
吉見「なんせ勝てない。2回戦とかで負けてる記憶しかないんですよ」
ち中3最後の夏の大会もコールド負けか、コールド負けに近いレベルで2回戦敗退したんだとか。
吉見「その時に、将来の夢を書く欄に野球選手って書くことがなくなりました。無理だと思ったんです」
現実路線で消防士へ
野球選手の夢を捨てた吉見さんが、次に目指した職業は何だったのでしょう?
吉見「僕のうち公務員家系なんで、公立高校に行って消防士になろうと思ってたんです」
野球に対しては「なれたらいいな」ぐらいの憧れがここできっぱり終了し、現実路線の消防を目指すことに。名門高校に行って野球を続けることは考えてもいなかったそうです。
ところが先生からこんな指示を受けます。
「金光大阪(高等学校)さんから話が来てるぞ。練習に行ってこい」
大阪府高槻市にある金光大阪高等学校の野球部は、激戦区の大阪大会でも常に上位となる強豪校として知られています。吉見さんはいったんあきらめた野球が評価され、金光大阪に進学することになりました。
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吉見一起さん、中日ドラゴンズ入団当初は「ピッチャーたる者、速い球を投げてなんぼ」 → しかし…
吉見一起さん「『俺の300万、お前のせいで飛んでったわ』って、井端さんとオールスターの話になると必ず言われます」 → その理由が…
吉見一起さんが明かしました。











