
■2025.11.27 スポーツナビ
松坂大輔の入団が中日にもたらした“6勝以上の価値”
— スポーツナビ 野球編集部 (@sn_baseball_jp) November 27, 2025
与田剛氏の監督就任に至った裏事情とは?
回想 栄光も屈辱も経験 ドラゴンズでの14年間のすべてを知る男https://t.co/jEHx3NwMiH#npb #プロ野球 #dragons https://t.co/DlB7kVSMrr
■2025.11.27 スポーツナビ
松坂大輔の入団が中日にもたらした“6勝以上の価値” 与田剛氏の監督就任に至った裏事情とは?
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新監督候補は英二と与田!?
あまり知られていないが、ナゴヤドームのセンターバックスリーンの裏には、オーナーがよく使っていた部屋がある。すでにシーズンの趨勢が大方決まっていた9月のある日。私は試合前にその部屋に呼ばれた。
私自身も「繋ぎの監督」を自認していたし、この2年間の成績の責任もあるから、このシーズンで辞めることは決めていた。だがシーズンが終了するまでは自分から言うつもりはなかった。
部屋に入ると、白井オーナーと球団代表がいた。大体大きな話をするときはいつもこの三人だった。そこで白井オーナーが翌シーズンの新監督について話し始めた。このとき、初めて私は今シーズン限りなのだと分かった。それも順番的にはおかしな話なのだが。
私は次の監督は小笠原だと思っていたし、この2年間は小笠原に引き継ぐためにやっていたところもあった。集めたコーチもそのまま小笠原が引き継げるように考えたメンバーでもあった。だから当然「小笠原じゃないんですか?」と聞いた。
「まだ早いだろう」
それがオーナーの結論だった。
続けてオーナーの口からは二人の球団OBの名前が出た。
「落合英二と与田(剛)は、来年どうなんだ? 調べられるか?」
それまでオーナーの口からこの二人の名前が出たことはなかったので、側近の誰かが耳に入れたのだろうなと直感で思った。
それで私は、「今シーズンで監督は終わり」とも何も言われないまま、英二と与田に連絡を取って、来季中日に戻ってくるつもりはあるかを確認することになったのだ。
英二は韓国の球団とコーチの契約があるからと断られた。与田は楽天との契約が終わるため「ぜひ!」ということだった。「監督として」という話は一切していない。与田もコーチとして話が来たと思っていたことだろう。それで9月中には監督候補が与田に一本化された。
10月に入ってしばらくすると、いくつかのスポーツ紙が私の退任とともに『後任は元西武の伊東勤が有力』と報じた。新監督候補として球団内で伊東の名前が出たことはないし、私もそんな動きは全くしていない。なぜ伊東の名前が出たのかは分からない。だが私は白井オーナーに呼ばれてこう釘を刺された。
「伊東が監督という話をしているのか!? 伊東の監督はダメだぞ!」
10月半ばに与田の監督就任が正式に発表され、ヘッドコーチには伊東が就任したが、すんなりと決まったわけではなかった。与田が伊東のヘッド就任を希望していたが、オーナーは先に監督候補として名前が出てしまったことが気に入らなかったのか、「伊東は絶対にダメだ!」と頑なにコーチ就任を許可しなかった。それで一旦はこの年に二軍でコーチをやっていた石井昭男をヘッドにするという話がまとまりかけた。だがその後に与田が社長を連れてオーナーのところに行って「どうしても伊東さんにしたい」と直談判して、最終的に伊東がヘッドになることで落ち着いた。
与田の新監督就任が発表される前、シーズンが終わるギリギリぐらいの頃だったと思うが、私は「今シーズンで辞めさせていただきます」とオーナーに挨拶に行った。そのときに同席していた球団代表から「球団としてはそのまま残っていただく意向です」という話があった。残って何をするのかと聞くと「そのまま外国人と編成のことをお願いします」と言う。「肩書きはこちらで何か考えます」ということで、それで「シニアディレクター」に就任が決まったのだ。
こうして私は2年間の「繋ぎの監督」の役目を終え、バトンを新監督の与田に託すことになった。シニアディレクターとして中日を強化していこうと、この時点では張り切っていたのだが、それは僅か1年で終わることになってしまった。
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与田剛さんの監督就任経緯です。



