
■2025.11.12 スポーツナビ
落合ドラゴンズの名参謀・森繁和氏が明かす中日黄金期の幕開け
— スポーツナビ 野球編集部 (@sn_baseball_jp) November 12, 2025
「10パーセントの底上げで優勝」の真意
回想 栄光も屈辱も経験 ドラゴンズでの14年間のすべてを知る男https://t.co/jEHx3Nxk8f#npb #プロ野球 https://t.co/MuJ9cuMDt7
■2025.11.12 スポーツナビ
落合ドラゴンズの名参謀・森繁和氏が明かす中日黄金期の幕開け 「10パーセントの底上げで優勝」の真意
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「来年からちょっと名古屋に行くよ」
2003年シーズンの終盤、ベイスターズで投手コーチをしていた私は横浜スタジアムでのデーゲームを終えて車で自宅に帰っている途中だった。ちょうど第三京浜から環八に入った辺りで携帯電話が鳴った。知らない番号だったが、出てみると落合(博満)さんだった。
「もう横浜終わりだろ? 辞めるんだろ?」
そんなことを言われた。この年の横浜は4月からずっと最下位に低迷していたし、私を呼んでくれた森祇晶さんも前年途中で解任されていた。私も次のことを考えないといけないから、球団にも来季のことを早く決めて欲しいと話しているところだった。そんな情報をどこからか耳にして電話をしてきたのかもしれない。
「辞めるんならちょっと手伝ってくれよ」と言う落合さんに「どこかで監督をやるんですか?」と聞いたが、そのときは球団名までは教えてくれなかった。ちょうど何日か前のスポーツ新聞に中日の次期監督候補として落合さんの名前が出ていたなぁとか、古巣のロッテという可能性もあるかなと思ったりもしたが、落合さんに誘われるならやってみたいという気持ちがあったから球団は正直どこでも良かった。私は明確に返事こそしなかったが、このとき既にコーチの要請を受けることはほぼ決めていた。
数日後にもう一度落合さんから電話があり「中日のこういう人間から電話がいくから話を聞いてほしい」と言われ、そこで初めて中日なのだと分かった。私は1978年のドラフト会議で四球団競合の末に西武に入団しているが、中日は私を1位指名してくれた球団の一つだった。あれから25年も経ってまさか中日のユニフォームを着ることになるとは思わなかった。
ちなみに同じ年にロッテに3位で指名されている落合さんも私とはプロ入り同期ということになる。その後に決まるコーチ陣も、高代延博、高橋三千丈、石嶺和彦、少し遅れて入ってくる高柳秀樹もみんなドラフト同期。不思議な縁を感じたものだった。
横浜のコーチ時代に敵として中日を2年間見てきて、面白いチームになってきているな、面白いピッチャーがいるなとは思っていた。だからコーチをするのも、落合さんと一緒にやるというのも楽しみだった。だからカミさんに相談することもなく「来年からちょっと名古屋に行くよ」と中日のコーチになることは事後報告だった。
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就任時のことを明かしました。



