
■2025.09.19 RadiChubu-ラジチューブ-
川上憲伸が語る1999年優勝。星野仙一監督の前で「セルフビールかけ」の真相
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優勝直後の試練、14失点の洗礼
星野監督から直接褒められることはなく、逆に厳しい言葉があったと川上さんは明かします。
神宮球場で優勝が決まった直後、川上さんは横浜スタジアムでの試合をひとりで任されることになりました。リリーフ陣は連れて行かず、投手のベンチ入りは念のための2人だけ。結果は初回から5失点、7イニングで14失点という厳しいものでした。
当時、日本シリーズの相手はすでに福岡ダイエーホークス(現 福岡ソフトバンクホークス)に決まっており、王貞治監督を含むホークスナインがスタンドから偵察に来ていました。しかし、あまりの大量失点に2イニング目で去っていったといいます。
そんな中、川上さんは日本シリーズ第2戦を任されることになりました。結果は、チーム唯一の白星でした。
独特の緊張感が生んだ集中力
川上さんはこの経験について、こう振り返ります。
「日本シリーズこそは期待外れじゃなくて、ここに自分がいることの意味がある。そういう気持ちを込めて、1回リセットしました。本当にリセットして、強い自分で行こうという思いがありました」
そして、日本シリーズ独特の雰囲気が川上さんを後押ししたといいます。
「ピリピリ感もそうですし、試合前のミーティングも入念にやりますし。野手もピッチャーも全員笑顔がなくなるっていうかね、数日前から。それが逆に良かったですね」
明治の後輩として頑張れた
「日本シリーズで優勝はできなかったんですけど、星野監督中心のチームの中で、明治の後輩として頑張れたかなと。貢献できてよかったなっていうのはありましたね」
プロ2年目にして日本シリーズの緊張感を味わい、そこで唯一の勝利投手となった川上さん。レギュラーシーズンは本人としては納得のいかない成績だっただけに、一度リセットして臨んだ日本シリーズでの活躍でした。
セルフビールかけから、日本シリーズでの勝利まで、星野監督との関係性と、明治大学の後輩としてのリスペクトが感じられるエピソードでした。
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川上憲伸さん「広島市民球場で育ってるバッターってバッティングが良いんです。なんでかと言ったら…」
川上憲伸さんが振り返りました。