■2025.01.17中日スポーツ
「大リーグは考えなかったのか?」殿堂入りの岩瀬仁紀さんがよく聞かれた質問の答え “メジャー”は検討、想像はしていた、ただ…【手記】#岩瀬仁紀 #中日ドラゴンズ #野球殿堂 https://t.co/Hy507FbC5T pic.twitter.com/G3hKBA9ggI
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■2025.01.18 中日スポーツ
「大リーグは考えなかったのか?」殿堂入りの岩瀬仁紀さんがよく聞かれた質問の答え “メジャー”は検討、想像はしていた、ただ…
野球殿堂博物館に立ち、身が引き締まりました。指導者、仲間、スタッフ、家族、ファン。野球人生を支えてくださった全ての方に感謝します。その上で、率直な気持ちを伝えます。選出の一報を聞いて思ったのは「恐れ多い」「自分なんかでいいのか」です。
1002試合に投げ、407セーブを挙げました。でも自分が残した数字だからなのか、そんなにすごいことだとは思えないんです。そもそも、私の周りにはすごい人がたくさんいました。山本昌さん、立浪和義さん、谷繁元信さん…。どちらを見ても野球界の伝説。そこに私が入る。だから「恐れ多い」のです。過去の自分に「頑張れ。将来、名球会に入って、野球殿堂にも選ばれるから」と伝えても「絶対にウソ」と言います。
なぜこういうネガティブな性格になったかというと、両親にそう育てられたからです。プロ野球選手に「なりたい」と夢見ていましたが「なれない」とも思っていました。壮大な夢よりも、堅実な人生を歩んでほしかったのだと思います。プロに入ってからもそうです。大学、社会人を経由していましたから、自分が何かの記録をつくるなんて感覚は皆無。それよりも1軍で何とか結果を残したい。目の前だけを見て必死の毎日でした。
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レジェンド・岩瀬仁紀さんが代名詞となる高速スライダーを習得した経緯が明かされる
森繁和さん、レジェンド・岩瀬仁紀さんの登板数について「登板を私は無理やりさせたつもりも、こき使ったつもりもありませんけど、今の野球界では…」
岩瀬仁紀さんが明かしました。