■2025.01.06 中日スポーツ
「力士になる」から野球の道へ…中日・井上監督が中3で迎えた人生最初の転機 躍動する享栄・近藤と鹿児島商旋風#中日 #井上監督 https://t.co/uovKhTTkp1
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“大型左腕”として中日ドラフト2位指名…井上一樹が打者転向後も助言仰いだ「名古屋の父」重なるその後の野球人生#大型左腕#中日ドラフト#井上一樹https://t.co/hhsP7L5jaT
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「馬力が人並み外れとった」外野手コンバートの4カ月後にジュニア球宴で2発MVP 井上一樹の背中を押した男#井上一樹 https://t.co/eGOBIlMbYp
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■2025.01.06 中日スポーツ
闘将からの“激辛メッセージ”…『99』で自ら殻を破った井上一樹 監督就任後に背番号変更した8選手への願い
投手で4年、打者で2年。井上は背水の陣だと理解した。しかし翌96年はあろうことか1軍出場ゼロ。打撃コーチだった水谷実雄の進言もあったようだが、それでも星野は待った。97年は黒田博樹からの初本塁打を含む21安打。98年は107試合、93安打とレギュラーに手が届くところまで成長した。そして99年。誰かに背中を押され続けてきた井上は、ついに自ら殻を破った。手袋やリストバンドをピンクに一新。周囲は驚くより先に、厳格な星野の怒りを買わないかと心配した。
「そんな色にして大丈夫か?って言われましたけど、チャレンジですよね。微力でも何かをアピールしなきゃと思った」
その年はキャリア最高の133安打。「恐怖の7番」としてリーグ優勝に貢献した。ピンクは黙認したが「どうやったらあんなに怒れるんだろう」と思っていた星野から、井上が学んだことがある。
「ギャップは必要かな。雷も落とさないといけない。だけど次の日には『取り返してこい』と言って使う。そこはマネしたいと思ってます」
監督就任後、井上も8選手の背番号を変更した。期待した者、奮起を促す者…。かつての自分のように、殻を破る日を信じて待つ。
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Q.今季のキーマンは? → 中日・井上一樹監督「今ね、石川昂弥とか細川って言うと思ったんでしょ。本当にそこも期待はしていますけども、僕の中でのキーマンは…」
中日・井上一樹監督、高橋周平の今後について言及する「僕の仕事とすれば、高橋周平を…」
井上監督が語ります。