■2024.11.13 Number Web
ソフトバンク育成2位のち中日→戦力外でトライアウトから5年…地元で社会人監督「僕が悪ければ選手に謝ります」“独立Lの星”亀澤恭平36歳の今(広尾晃)#プロ野球 #トライアウト #亀澤恭平 #中日ドラゴンズ #NumberWeb https://t.co/nsSq8FL29Y
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ソフトバンク育成2位のち中日→戦力外でトライアウトから5年…地元で社会人監督「僕が悪ければ選手に謝ります」“独立Lの星”亀澤恭平36歳の今
ソフトバンクでは育成選手だったが、2014年、テスト生として秋季キャンプに参加して、支配下選手として中日に入団。翌2015年には早くも107試合に出場、二塁を中心に三塁、遊撃も守るユーティリティとして活躍。当時の中日は、荒木雅博、井端弘和の有名な「アライバコンビ」がベテランの域に差し掛かっていたが、亀澤氏は守備力に加え、しぶとい打撃で存在感を示していた。
「大学を出て、親に『1年だけ挑戦する。ダメだったら就職するから』という約束で独立リーグに行きました。ドラフト会議が近づいて、僕はプロの方とは接触していなかったのですが、香川の西田真二監督は『お前はどの球団の何位くらい、お前は育成ね』など、いろいろ情報を教えてくださいました。結局、僕はソフトバンクの育成2位で指名されたんですが、育成でももちろん行くつもりでした。ソフトバンクのドラフトの同期で現役は、武田翔太だけになりました」
トライアウト受験前に中日から声が
ソフトバンクには3シーズンいて、支配下登録を勝ち取ることはできなかった。
「その当時から僕は、1年でも長くプロの世界で生き続けるにはどうしたらいいか、を一生懸命考えていました」
当時の育成選手は規定の3年契約が終わると、自由契約になる人が大部分で、ほとんどの選手は支配下登録になることはできなかった。ソフトバンクで言えば、亀澤の前年に育成ドラフトで入った牧原大成や甲斐拓也が支配下になったくらいだった。
「3年目が終わって、僕はどの球団でもいいから声をかけてくれればいい、という気持ちと、ソフトバンクで上がりたいという気持ちを両方持っていました。
結果的に、中日さんから声をかけてもらいトライアウトを受ける前に移籍が決まりました。中日に入団してからは、とりあえず成績を残すことしか考えていなかったですね。バットでも結果を残さないと一軍に残れないし、守備でも結果を出さないと残れないし」
174cm77kgという小さな体ながらも中日での目覚ましい活躍は、独立リーグの「希望の星」という印象だった。
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中日ドラフト3位・辻本倫太郎、フレッシュオールスターでの応援歌は…
元中日・亀澤恭平選手が現役を引退…「ドラゴンズの入団の時も佐伯さんがいなければ今の僕はありません。僕の力を信じて頂きありがとうございました」
亀澤恭平さんが明かしました。