■2024.10.07 webスポルティーバ
星野仙一「おまえ、抑えをやれ」
— 集英社スポルティーバ (@webSportiva) October 7, 2024
与田剛「えっ??」
球速だけを求めた高校、大学時代。才能が開花した社会人、プロ1年目に突然のクローザー転向。与田剛はどのような野球人生を歩んできたのかーー。 https://t.co/f7GIZ6iTvB
落合博満「いつまで投げてんだ。もう食事の時間過ぎてるから早く終わらせろ」
— 集英社スポルティーバ (@webSportiva) October 7, 2024
プロ1年目に31セーブを挙げ最優秀救援投手のタイトルを獲得した与田剛。なぜ1年目から抑えの座をまっとうできたのか? https://t.co/u9NrIlO8nM
星野仙一から「おまえ、抑えをやれ」
— 髙橋安幸 (@yasuyuki_taka) October 7, 2024
与田剛はプロ1年目に突然のクローザー転向を言い渡された https://t.co/AjcXp60T6r
『セーブ制度導入50年〜プロ野球ブルペン史』連載第6回
与田剛さんのインタビューがアップされました。こちらは前編です。
与田剛は落合博満の言葉に救われた なぜプロ1年目から抑えの座をまっとうできたのか? https://t.co/UQOioD6X8j
— 髙橋安幸 (@yasuyuki_taka) October 7, 2024
『セーブ制度導入50年〜プロ野球ブルペン史』連載第6回 後編
「いつまで投げてんだ。もう食事の時間過ぎてるから早く終わらせろ」
「ああ、すいません、早く終わらせます」
■2024.10.07 webスポルティーバ
星野仙一から「おまえ、抑えをやれ」 与田剛はプロ1年目に突然のクローザー転向を言い渡された
足を痛めたものの、下半身を含むトレーニングを続けて3月半ばに復帰し、同18日、東京ドームでの日本ハムとのオープン戦で初登板。故障明けながら151キロをマークし、球界全体を揺るがすほど大きな話題となった。プロでの評価も一気に高まり、あきらめかけていた開幕ローテーション入りも見えてきた。そんな時に与田は監督室に呼ばれ、星野から直々に告げられた。
「おまえ、抑えをやれ」
「えっ??」と声を上げるしかなかった。抑えにも驚いた与田だったが、キャンプ中から「先発で開幕一軍」と言われてきて、ずっと先発として調整してきたから二重の驚きだった。前年まで抑えを務めてきた郭源治が左脇腹を痛め、急遽、新人の与田に白羽の矢が立った。チーム事情を説明すると、星野はさらに言った。
「セ・リーグの初代セーブ王、誰か知っとるか?」
「えっ?」
「ワシや」
…
【新人だからこそできた守護神】
「星野さんからは、抑え投手としての快感を延々とお話しいただきました。指名はまったく想定外でしたけど、僕は元来、『人間万事塞翁が馬』で生きてきたので、変えられない現実は受け入れようと」
与田は早速、郭に電話を入れ、抑えとしての調整法などを聞いた。社会人では先発で投げてきたが、全日本で出場した国際大会ではリリーフでも登板。待機の難しさは経験していた。それにしても当時、新人で開幕から抑えを務めるとは前例がない。星野からの直々の指令でその気になったということなのか。
「経験値がないと、その気になれるんでしょうね。経験値のある方は、たぶん自他ともに認めないといけないポジションという認識でしょう、4番とエースと抑えというのは。その点、経験値が何もない僕には、抑えがどれだけ信頼されないといけないのか、おぼろげにしかわからない。だから、若さと生意気さが後押ししてくれたんだと思います」
記事全文を読む
当時の中日・与田剛監督、あの試合の試合後にロッカーに全選手を集めて三ツ間卓也投手へ…
前中日監督・与田剛さん、梅津晃大は「根本的に…」
当時のことを明かしました。