■2024.09.30 スポニチアネックス
山崎武司氏が2000安打に届かなかった要因は「中村武志の壁」より性格!?― スポニチ Sponichi Annex 野球 https://t.co/h06E9fy5tP
— スポニチ野球記者’24 (@SponichiYakyu) September 30, 2024
■2024.09.30 スポニチアネックス
山崎武司氏が2000安打に届かなかった要因は「中村武志の壁」より性格!?
愛工大名電から捕手として1986年ドラフト2位で中日入団。2歳上には中村武志氏がいた。
「中村さんのキャッチャーの技術は凄かった。俺、キャッチャーは無理だなと思った」と、早くから捕手としては諦めていた。
その中村氏も試合では当時の星野仙一監督にベンチから「武志!武志!」と叫ばれ続け、プレーに集中できていない。
山崎氏は「(その様子を)見ていてキャッチャーやりたくねえな。辞めたい」と思ってしまった。
2軍監督に何度も捕手から野手へのコンバートを直訴したが、却下され続け、1軍にも上がれない。ようやく転向が認められたのは7年目だった。
そこから強打者として開花。3球団で通算25年プレーし、1834安打、403本塁打を積み重ねる。
岡崎氏から「もっと早く転向していたら2000安打届いていた」と指摘されたが、山崎氏は首を振った。
「(長くやっても)こういう性格だから監督に“干される”。2000安打到達できていないと思う。技術もなかったし」と明かした。
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山﨑武司さん「チーム改革の失敗」 → この意味は…【動画】
山﨑武司さん、キャッチャーを「やりたくない」と思っていたところ当時の星野仙一監督から…
山﨑武司さんが言及です。