■2024.08.24 Number Web
同い年の大谷翔平に「すいません、写真撮ってもらえませんか?」と突撃して…中日・柳裕也が振り返る横浜高の青春時代と「大谷世代」の本音(小西斗真)#npb #プロ野球 #中日ドラゴンズ #dragons #柳裕也 #大谷翔平 #dodgers #NumberWeb https://t.co/ukKdS3zGJr
— Number編集部 (@numberweb) August 24, 2024
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同い年の大谷翔平に「すいません、写真撮ってもらえませんか?」と突撃して…中日・柳裕也が振り返る横浜高の青春時代と「大谷世代」の本音
そんな柳は宮崎県都城市生まれ。横浜高は越境入学だが、いわゆるスカウト網にかかった野球留学とは違う。松坂大輔にあこがれて熱望し、自ら売り込んだからだ。
渡辺監督を“出待ち”して直訴
「僕が中学3年のときに横浜高が宮崎県に招待試合で来たんです。そこで関係者の方にご協力いただいて、渡辺元智監督を出待ちしたんです。僕を入れてくださいって」
関係者からの口添えもあったようで、練習見学の話がまとまり、夢の扉を自らこじ開けた。母子家庭に育った柳は、甲子園に出て大学に進み、プロに入って活躍することが母親への恩返しになると15歳で決めていた。そのための出待ち直訴。旺盛な突撃精神は、少年期にはすでに培われていたようだ。
明大ではエース兼主将として明治神宮大会を制する原動力となった。現在は中日の選手会長として奮闘しているが、当時から卓越したリーダーシップを発揮していた。広島の森下暢仁(大分商)は大学の3学年後輩。本人が望めば高校からの直接ドラフト指名もあったはずだが、監督、1学年上の主将だった坂本誠志郎(阪神)とともに、大分まで出向いて「絶対に後悔させない。明治で一緒に野球をやって、4年後にドラフト1位でプロに行こう」と口説いたエピソードは有名だ。
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柳投手が明かしました。