■2024.07.24 日刊スポーツ
元中日のレジェンドがドジャースのユニホームに「これは中日球団の方が」「自分のユニホームが」 #npb #プロ野球 #dragons #中日 #中日ドラゴンズ #MLB #ドジャース https://t.co/6SRIrXjLwM
— 日刊スポーツ (@nikkansports) July 24, 2024
■2024.07.24 日刊スポーツ
元中日の山本昌氏、飛躍きっかけドジャース留学に「辞めようかと」「島流しという風に捉えてた」
中日は88年2月、ドジャースと同じベロビーチでキャンプを行い、山本氏ら若手選手がそのまま現地に残ることとなった。そして、ドジャース傘下の1Aのチームで8月上旬まで過ごしたという。
当時を振り返り「メジャー2球団から欲しいって言われてたらしいです。僕は聞いてないですけど。9月の1日から(メジャー)契約でどうだってドラゴンズに(話が)来てたんですけど、(当時の)星野監督は『やれやれ! マサがメジャーなんて夢があるじゃないか』って言ってくれたんだけど、後で聞いたら『マサがそんな良くなってるわけねえだろ』って」と恩師とのエピソードを明かした。
このベロビーチキャンプで山本氏は、オープン戦で1回7失点を喫するなど散々な成績。現地残留を告げられた時の心境を「僕は星野監督に『アメリカ留学してこい』って言われたときには球団に言って辞めようかと思った。自分の中では島流しという風に捉えてた」と明かした。プロ入り後は成績が振るわなかった山本氏は、このアメリカ留学で、飛躍のきっかけとなるスクリューを習得した。
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レジェンド・山本昌さんが「ジャパンのエースになれる素材」と期待する存在
レジェンド・山本昌さん「どのような感じで後半戦を戦っていきたいですか?」 → 中日・立浪和義監督が語る「やはり、もう少し…」
山本昌さんが明かしました。