■2024.07.12 週刊ベースボールONLINE
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中学時代は補欠、阪神で戦力外も…育成契約から「素質開花の苦労人」は
今まで支えてくれた人たちに恩返しするためにも、ドラゴンズブルーのユニフォームを身にまとい、全身全霊で野球に打ち込む#中日ドラゴンズ #dragons #板山祐太郎https://t.co/sCSpJCV3Tg
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中学時代は補欠、阪神で戦力外も…育成契約から「素質開花の苦労人」は
中学での挫折がターニングポイント
阪神でファーム暮らしが続いていた時期も腐ることなく、誰よりも練習に打ち込んできた。その原点は中学時代だ。神奈川県横浜市で生まれ育ち、中学の時に硬式シニアの名門・中本牧リトルシニアに入団したが、3年間レギュラーを勝ち取れなかった。全国屈指の強豪・横浜高への進学を希望したが、「横浜高校に行かせてやれないこともないけど、3年間スタンドでいるよりかは試合に出てなんぼじゃないか」と監督に助言を受けて、成立学園高に進学した。板山は週刊ベースボールの取材で、こう語っている。
「中学での挫折というのが僕の中で結構ターニングポイントというか。ほかの人より練習をしているという自信はあったし、負けていないと思っていましたけど、やっぱり中学時代は体の大きいやつには勝てないので。金属バットだし、僕は150cm台で、180cm台のやつがゴロゴロいて。どんなにバットを振っても打球の強さや飛距離では勝てないし、球の速さや肩の強さでも勝てないし。そこでの悔しさというのが高校、大学ずっと心のどこかにありました」
「できることは何なのかと考えたときに練習するしかなかったので、体が小さいことにグチを言っても何も始まらないので。プロになっても一軍にいるいない、試合に出る出ないを決めるのは僕じゃない。あくまでも選手は評価してもらって使ってもらう立場だと思います。じゃあ使ってもらえるように結果を残すしかなくて、練習するしかないし。そういう考え方ができたのは中学のときの挫折があったからだなとは思いますね」
日の当たる道を歩んできたわけではない。挫折や試練を乗り越えることで強くなってきた。低迷期が長く続いている中日は、ハングリー精神にあふれている板山の台頭が他の選手への刺激になる。今まで支えてくれた人たちに恩返しするためにも、ドラゴンズブルーのユニフォームを身にまとい、全身全霊で野球に打ち込む。
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「なんでパパは家にいるの?」 中日・板山祐太郎が「何とも言えない気持ち」を感じた日が…
板山選手が語りました。