■2024.07.01 中日スポーツ
中日が“11試合連続2得点以下”記録した年は『3位』強打はなくとも勝ち方はある 球団の歴史が示す戦術とは#中日 https://t.co/gxgGBHWDkb
— 中日スポーツ (@chuspo) July 1, 2024
■2024.07.01 中日スポーツ
中日が“11試合連続2得点以下”記録した年は『3位』強打はなくとも勝ち方はある 球団の歴史が示す戦術とは
1956年の8月25日から9月9日まで。神武景気にわき、経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれたこの年の中日は、野口明監督が率いていた。開幕前に初代ミスタードラゴンズの西沢道夫が、突然の「引退宣言」。周囲の説得で翻意したが、不穏な空気に包まれてのスタートだった。
夏場の「11試合」が示す通り、チーム打率は2割2分8厘。これでもリーグ2位というのは驚くが、52本塁打は同6位と破壊力には欠けていた。零敗は実に24。しかし、チームは決して弱くはなかった。
大矢根博臣、中山俊丈がそろって20勝を達成し、大エースの杉下茂も控えていた。チーム防御率はリーグ2位の2.03。完封勝利は30と、貧弱な得点力を強力投手陣が支える構図は、近年と同じなのだ。
優勝した巨人に10ゲーム差とはいえ、74勝56敗の3位。阪神を加えた3強と、国鉄、広島、大洋の3弱がくっきり分かれていた勢力図の違いはわかるが、並べなかった球団記録のシーズンには親近感も希望もわいてくる。
守って勝つ。この日もそうだった。3カ月たって開幕に戻った田中、ロドリゲスの二遊間は、ともに難しい打球を軽やかにさばき、投手をもり立てた。強打はなくとも勝ち方はある。68年前の先輩たちと同じように、しぶとく、手堅く。老舗球団の歴史は、そう教えてくれている。
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1956年のシーズンでした。