■2024.03.18 中日スポーツ
まるで恋のよう…プロ野球選手がグラブに求める条件と“運命の出会い” レジェンドの愛用品は球団の宝に#中日ドラゴンズ #ドラゴンズ #dragonshttps://t.co/8GyZU12ntp
— 中日スポーツ (@chuspo) March 18, 2024
■2024.03.18 中日スポーツ
まるで恋のよう…プロ野球選手がグラブに求める条件と“運命の出会い” レジェンドの愛用品は球団の宝に
先輩投手の西尾慈高(しげたか)から譲り受けたのが1961年。以来補修を重ねて、引退までの12シーズンをともにした。そこから40年以上が経過した2000年代に、中さんはナゴヤドームでのマスターズリーグに出場した。ところが平凡な飛球を捕り損ねた。年齢を考えれば仕方のないことだとファンは受け止めたが、中さんはスタッフを呼んでこう言った。
「このグラブじゃダメだ。僕が使っていたグラブが球場に展示されているはずだから、それを持ってきて」
球団の宝として飾られていたグラブを試合中に取ってこさせ、使用した。年老いても名手の誇りとグラブへの信頼は変わっていなかったのだ。
63、65年のシーズン350刺殺は、当時より3試合増え、各球場が格段に広くなった今でも破られぬ外野手としてのセ・リーグ記録だ。俊足で追いつきさえすれば、必ずつかみ取ったグラブ。生前の中さんに「なぜ、それじゃないとダメだったんですか?」と尋ねたことがある。
「僕は柔らかくないとダメだったから。手と同じように使えたのが、あのグラブだったんだ」
中さんと同じ左投げ。そして「1番・センター」が代名詞でもある大島にも、グラブに何を求めるかを聞いた。
「僕は自分の右手の動きについてきてくれないとダメなんです。だから最初に手を入れた時に、試合で使えるかどうかがわかります。少し(手より)遅れてくる物もあるので。ただ、本当に理想だと思える物には、今まで出会ったことはないですね」
手の一部のように動け。相棒への条件は同じだったが、運命の出会いを信じて毎年、新調している大島と、出会いを大切にし、一途に使い続けた中さん。名手とグラブの関係は、まるで恋のようではないか。
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大島選手が明かしました。