■2024.01.14 共同通信
4年で戦力外通告、でも「意外とスッと入ってきた」 国立大学から中日の育成選手になった左腕が見た「プロの投手の凄み」 | 2024/1/14 – 47NEWS https://t.co/AUdLpKxmpp
— 共同通信公式 (@kyodo_official) January 14, 2024
■2024.01.14 共同通信
4年で戦力外通告、でも「意外とスッと入ってきた」 国立大学から中日の育成選手になった左腕が見た「プロの投手の凄み」
▽痛感したプロの壁
中日では同じ世代に神奈川・東海大相模高で夏の甲子園大会優勝投手の小笠原慎之介投手や、慶応大で大学日本代表に選ばれた郡司裕也捕手(現日本ハム)などそうそうたるメンバーがいた。一般入試で国立大に入った松田とは歩んできた道があまりにかけ離れていた。
輝かしい実績を誇る顔ぶれに「負い目というか、この人たちはすごい人、みたいなのはありました」と明かす。「そんなの関係ないと気づけたのはけっこう後」だった。
1年目は左肩を痛めて投げられない時期が長かった。秋に復帰したが「何か定まらなくなって。けがをしたら投げ方が変わっちゃったんですよね」。大学時代には当たり前のように140㌔台中盤の球が投げられたが、ようやく投球を再開すると球速が出なくなっていた。
2年目に2軍公式戦でデビューし、16試合で防御率3・38をマーク。26試合に登板した3年目には球速が140㌔台中盤まで戻ったが、48回で45四死球と制球が安定せず、防御率は7・13と悪化した。真面目に自分に向き合うからこそ、より高く感じるプロの壁。ブルペンでの投球練習中に、迷いから動作を止めてしまったこともあった。
「結果を出さないといけない時に投げられない…」。迷い込んだ暗闇で苦しんだ。
記事全文を読む
「だからこそセカンドキャリアには前向きに進めるんです」 とある理由で投げることができなくなってしまった元中日・松田亘哲さんに光を指してくれたのが…
元中日・松田亘哲さん、CBCテレビ(中部日本放送)に就職へ!!!
松田亘哲さんが明かしました。