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権藤博さん「そうか。オレはドン(ニューカム)と一緒にプレーして、バウアーは解説したことになるんだな」

ドン・ニューカム

■2023.05.28 中日スポーツ


■2023.05.28 中日スポーツ

2人目バウアーの61年前…日本球界史上1人目のサイ・ヤング賞投手が中日に 打者でオファーの“二刀流”
権藤博さん「そうか。オレはドン(ニューカム)と一緒にプレーして、バウアーは解説したことになるんだな」

 1人目は中日の選手だった。1962年に在籍したドン・ニューカム(登録名はニューク)。ジャッキー・ロビンソンに続いた黒人大リーガーの草分けであり、サイ・ヤング賞が制定された56年に第1号受賞者となった。

 前年に引退し、故郷のニュージャージー州で高校のコーチをしていたニューカムの日本での復帰は、米国内でも大きく報道されたという。引退を翻意し、異国でのプレーを決めたのは中日からのオファーが打者としてだったからだ。通算149勝の右腕は、頻繁に代打で起用された左打者。中日では打率2割6分2厘、12本塁打の成績を残している。

 「(巨人の)秋広のような柔らかい打撃だった」と証言したのは、権藤博さんだ。実はニューカムが来日した62年6月18日に、球団首脳や大勢の市民とともに、名古屋駅で出迎えている。

 「迫力が全然違った。貫禄があり、メジャーのプライドを感じた。それでいて横柄な態度もしないし、重厚感があった

 家族とマンションで暮らし、自ら車も運転した。名古屋での生活を満喫したニューカムは、日本で1度だけ登板している。10月9日のシーズン最終戦に、DeNAの前身である大洋戦(中日)に先発。4イニングを2安打、2失点に「1年ぶりにマウンドに上がったので、スピードも十分でなく、コントロールも悪かった」とコメントしている。

 「そうか。オレはドン(ニューカム)と一緒にプレーして、バウアーは解説したことになるんだな

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中日の野手登録選手の登板、前回はなんと…


権藤博さん「開幕オーダーが変容を重ねるなど、首脳陣も日々、頭を悩ましながら編成をしているようですが、気になるのは…」


当時のエースが思い出を語りました。

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