■2022.10.03 中日スポーツ
中日はなぜ「ドラゴンズブルー」になったのか?今こそあの時のような強い気持ちを持つべきではないか【増田護コラム】
中日はなぜ「ドラゴンズブルー」になったのか?今こそあの時のような強い気持ちを持つべきではないか【増田護コラム】
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— 中日スポーツ (@chuspo) October 3, 2022
■2022.10.03 中日スポーツ
中日はなぜ「ドラゴンズブルー」になったのか?今こそあの時のような強い気持ちを持つべきではないか【増田護コラム】
中日のカラーがブルーになったのには理由がある。1968年12月、中日スポーツと中日新聞に「ドラゴンズ・カラー懸賞募集」の告知が掲載された。「強化を図るチームに歩調を合わせ、ユニホームのマーク、帽子などの基調にする色を決める」とある。
採用されたのは名古屋市の女性が応募した「ブルーグレー」。紙面はモノクロだったため中日スポーツは「たばこのハイライトの包み紙に似た色」と書いた。以来、アレンジを加えながら球団とファンはブルーを大切にしてきた。
当時、球団は相当な危機感を抱いていた。54年の初優勝以降は低迷が続き、68年は最下位。まず水原茂監督に再建を託した。巨人を追い出された名将で、敵の敵は友という理屈だ。地元財界の慶大人脈を頼って口説き落とした。
同時にイメージ戦略に取り組み、冒頭のチームカラー制定はその時に打ち出された。4年前の東京五輪を契機にカラーテレビが普及した時期でもあり、ファンと一緒に盛り上げようとした。ブルーを基調にモデルチェンジした71年のユニホームを引き合いに出した中日ドラゴンズ40年史が「巨人の黒っぽいユニホームが、いかにうすよごれた感じを与えたことか」と書いているのが笑える。大人げないが、熱い気持ちが伝わってくる。
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一番最初は公募によって決まっていたようです。