■2022.01.20 東海ラジオ
『大澤広樹のドラゴンズステーション』
…
お便り「Q.藤井さん、背番号4はルーキーの鵜飼選手がつけることになりました。4の後継者・鵜飼選手にはどんなことを期待していますか?」
藤井:
期待されてる選手が、
1ケタっていうのは僕は特別だと思ってるので、
なのでそうやって入団で1ケタ貰ってというのは期待されている証拠だと思うんで、
個性のある選手っていふうに話題出ているんで楽しみですね。
大澤アナ:
藤井さんは背番号22から4番に変わって、
中日球団では一番長く背番号4をつけておりました。
藤井:
そうなんですよね。
大澤アナ:
藤井選手以外はわりと外国人選手が多くて、
ゴメス選手が6年、マーチン選手が5年、
アレックス・オチョア選手もつけていましたね。
藤井:
そうですね。
入団当時はオチョアがつけていたんですよね。
大澤アナ:
アレックスですね。
藤井:
2年目にあまりドラゴンズファンの人も記憶にないかもわからないですけど、
バレンタインというピッチャーがいたんですよ、白人の。
ちょっと坊主というかね、短髪で、
なんか男前なんですよ。
大澤アナ:
男前(笑)
藤井:
中日で投げたかな?
僕が入った時は1・2年目はそれで、3年目から僕になったんですけど。
大澤アナ:
そのピッチャーのバレンタイン選手が4番をつけてたんですね?
藤井:
そうです。
アレックスが1年、僕が入った最初の1年目はアレックス、
2年目はバレンタイン。
大澤アナ:
謎のピッチャー、バレンタイン(笑)
藤井:
そうですね(笑)
3年目から僕になったんですけど。
でもね、これ僕もね、
正直「4」っていう数字って僕が身につけるまで
どっちかいうと日本人ってあまり好きでない数字と言われるじゃないですか。
大澤アナ:
まぁ「死」っていうふうに言われますから。
藤井:
本当、僕も嫌だったんですよ、正直。
大澤アナ:
あっ、嫌だったんだ。
藤井:
やっぱり選手は入団した時の背番号は何らかの愛着を僕は持ってるんです。
大澤アナ:
割と22のほうが当時は好きだったわけですね。
藤井:
僕は22って数字で引退までつけるんだという思いで入っているんで、
そのまんまあれですよ、いまでも忘れないですけど、
2年目のナゴヤ球場の秋季キャンプですね、
バッティング練習、ティーバッティングしている時ですね、
落合監督が僕のうしろに来て、
落合監督:
おい、お前、
22、俺に預けろ。
と言われたんですよ。
「えっ?嫌です!」と言ったんです、僕。
大澤アナ:
あなたはなんでも凄いな、本当に(笑)
藤井:
それで「嫌です」って言ったら。
大澤アナ:
「嫌です」と言ったんですか?
藤井:
そうです。
そしたら、
落合監督:
ダメ。
って言われたんです。
落合監督:
お前は来年から4番。
といって、どこかに行かれました(笑)
で、僕4番になりました。
大澤アナ:
(笑)
落井監督の意向、一存で。
藤井:
当時は背番号のシャッフル多かったんです。
大澤アナ:
多かったですねぇ。
藤井:
僕、「4って何!?」と思って。
1ケタという背番号というよりは「4」という数字に対して「あまり…」と思って、
そしたら確か谷繁さんに、その日の練習ですかね。
僕なんか繁さんにいじられたときに、
谷繁:
おい、お前、
1ケタになるからって調子に乗ってんな~!
とか言われたんですよ。
その時に思ったんです。
「1ケタって、そうだよな。1ケタってそんな簡単に貰える背番号じゃないしな」ってその時ふと思って、
そこからですね、4番を受け入れ始め、
いつの間にか「4」という数字が大好きになりましたね。
大澤アナ:
あっ、そうですか。
藤井:
全て何かにつけて4、
4があれば4をやっぱり選んじゃいますね。
それくらいユニフォームって選手にとっては、
ある意味サインもそうじゃないですか、
チーム名と背番号で、最後は正直何かいてるか分からなくても
チーム名+背番号=選手名ですもん。
大澤アナ:
そうですね。
藤井:
凄い大事なものなんで、
僕はぜひ鵜飼選手に頑張ってもらって4を輝かしてほしいですね。
そして、あわよくば13年以内に背番号を変えていただきたい(笑)
大澤アナ:
(笑)
私さっき前の番組を聞いていて、
藤井さんがそう言いだした時「僕を抜いて欲しいですね」って言うかと思ったんですよ(笑)
藤井:
(笑)
大澤アナ:
逆のこと言うもん(笑)
藤井:
13年以内に変えていただいて、違う背番号で輝いていただくということでお願いします(笑)
大澤アナ:
意地でもいいから4から変わってくれと(笑)
『大澤広樹のドラゴンズステーション』
📻東海ラジオ
— ガッツイッター(東海ラジオ) (@guts1332) January 20, 2022
大澤広樹のドラゴンズステーション
今日はスタジオに#藤井淳志 さんです🔥
18時台
ドラゴンズテレフォンには
中日ドラゴンズジュニアjrの監督!#湊川誠隆 さんが登場!
📩メールは
dora@tokairadio.co.jp までhttps://t.co/UZlUHufxmR #ドラゴンズ #ドラステ #東海ラジオ pic.twitter.com/hHthceB5Mo
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お便り「Q.藤井さん、背番号4はルーキーの鵜飼選手がつけることになりました。4の後継者・鵜飼選手にはどんなことを期待していますか?」
藤井:
期待されてる選手が、
1ケタっていうのは僕は特別だと思ってるので、
なのでそうやって入団で1ケタ貰ってというのは期待されている証拠だと思うんで、
個性のある選手っていふうに話題出ているんで楽しみですね。
大澤アナ:
藤井さんは背番号22から4番に変わって、
中日球団では一番長く背番号4をつけておりました。
藤井:
そうなんですよね。
大澤アナ:
藤井選手以外はわりと外国人選手が多くて、
ゴメス選手が6年、マーチン選手が5年、
アレックス・オチョア選手もつけていましたね。
藤井:
そうですね。
入団当時はオチョアがつけていたんですよね。
大澤アナ:
アレックスですね。
藤井:
2年目にあまりドラゴンズファンの人も記憶にないかもわからないですけど、
バレンタインというピッチャーがいたんですよ、白人の。
ちょっと坊主というかね、短髪で、
なんか男前なんですよ。
大澤アナ:
男前(笑)
藤井:
中日で投げたかな?
僕が入った時は1・2年目はそれで、3年目から僕になったんですけど。
大澤アナ:
そのピッチャーのバレンタイン選手が4番をつけてたんですね?
藤井:
そうです。
アレックスが1年、僕が入った最初の1年目はアレックス、
2年目はバレンタイン。
大澤アナ:
謎のピッチャー、バレンタイン(笑)
藤井:
そうですね(笑)
3年目から僕になったんですけど。
でもね、これ僕もね、
正直「4」っていう数字って僕が身につけるまで
どっちかいうと日本人ってあまり好きでない数字と言われるじゃないですか。
大澤アナ:
まぁ「死」っていうふうに言われますから。
藤井:
本当、僕も嫌だったんですよ、正直。
大澤アナ:
あっ、嫌だったんだ。
藤井:
やっぱり選手は入団した時の背番号は何らかの愛着を僕は持ってるんです。
大澤アナ:
割と22のほうが当時は好きだったわけですね。
藤井:
僕は22って数字で引退までつけるんだという思いで入っているんで、
そのまんまあれですよ、いまでも忘れないですけど、
2年目のナゴヤ球場の秋季キャンプですね、
バッティング練習、ティーバッティングしている時ですね、
落合監督が僕のうしろに来て、
落合監督:
おい、お前、
22、俺に預けろ。
と言われたんですよ。
「えっ?嫌です!」と言ったんです、僕。
大澤アナ:
あなたはなんでも凄いな、本当に(笑)
藤井:
それで「嫌です」って言ったら。
大澤アナ:
「嫌です」と言ったんですか?
藤井:
そうです。
そしたら、
落合監督:
ダメ。
って言われたんです。
落合監督:
お前は来年から4番。
といって、どこかに行かれました(笑)
で、僕4番になりました。
大澤アナ:
(笑)
落井監督の意向、一存で。
藤井:
当時は背番号のシャッフル多かったんです。
大澤アナ:
多かったですねぇ。
藤井:
僕、「4って何!?」と思って。
1ケタという背番号というよりは「4」という数字に対して「あまり…」と思って、
そしたら確か谷繁さんに、その日の練習ですかね。
僕なんか繁さんにいじられたときに、
谷繁:
おい、お前、
1ケタになるからって調子に乗ってんな~!
とか言われたんですよ。
その時に思ったんです。
「1ケタって、そうだよな。1ケタってそんな簡単に貰える背番号じゃないしな」ってその時ふと思って、
そこからですね、4番を受け入れ始め、
いつの間にか「4」という数字が大好きになりましたね。
大澤アナ:
あっ、そうですか。
藤井:
全て何かにつけて4、
4があれば4をやっぱり選んじゃいますね。
それくらいユニフォームって選手にとっては、
ある意味サインもそうじゃないですか、
チーム名と背番号で、最後は正直何かいてるか分からなくても
チーム名+背番号=選手名ですもん。
大澤アナ:
そうですね。
藤井:
凄い大事なものなんで、
僕はぜひ鵜飼選手に頑張ってもらって4を輝かしてほしいですね。
そして、あわよくば13年以内に背番号を変えていただきたい(笑)
大澤アナ:
(笑)
私さっき前の番組を聞いていて、
藤井さんがそう言いだした時「僕を抜いて欲しいですね」って言うかと思ったんですよ(笑)
藤井:
(笑)
大澤アナ:
逆のこと言うもん(笑)
藤井:
13年以内に変えていただいて、違う背番号で輝いていただくということでお願いします(笑)
大澤アナ:
意地でもいいから4から変わってくれと(笑)
当時30歳の中日・藤井淳志選手へ、落合博満監督「アイツだけはまだ1人部屋はダメだ」
当時の中日・藤井淳志選手、谷繁元信監督にめちゃくちゃ怒られる
背番号4への思い出を語ってくれました。